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2010年4月24日 (土)

近世後期の松江藩(3)

 以前、松江藩の人口について論じた際に、「出入捷覧」はあくまでも普通会計の記録であり、これとは別に特別会計があり、しだいに後者の割合が増大したことを述べた。そして特別会計の収入についてはある程度の推定が可能だが、その支出についてはまったくデータがなく、普通会計の支出のみで判断するのは危険である(学術的でない)ことも述べた(自分自身は論証できないことは述べないようにしている)。
  借金返済と言えば薩摩藩と長州藩の例が有名だが、貸し主との間に返済計画を決め、特別なことが無い限りはそれを守っていくはずである。「出入捷覧」に記された年々の返済額は余りに差が大きいのである。安澤氏のように合計から判断して安心するのではなく、一年一年についてきちんとみていくとまた別の点が明らかになる。
 ともあれ、「出入捷覧」は近世後期の松江藩を考える手がかりをたくさん含む資料であり、様々な方面から分析していく必要がある。ちなみに近世後期の松江藩が「日本一の人口増加」というのも、比較の対象と方法に問題があり、明確な誤りである(近著では指摘を踏まえトップクラスと修正されたが)。特に19世紀の天保年間から幕末期にかけては全国平均を下回る増加率でしか無く、近代以降を先取りする形がすでに現れており、事実に基づく分析をしないかぎり、せっかくなされた努力(この点は評価できる)が無意味なものになりかねない。
  蛇足だが、学生時代、「この考えは永原慶二氏の説に基づく」と説明すると、石井氏は「それはいつの永原氏」かと問われた。永原氏の考えも日々変化し・進化しているのである(石井氏流のユーモアでもあった)。ところが多くの研究者は一旦書いた論文を進化させる作業を怠っている。これは何故かといつも思う。

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