koewokiku(HPへ)

« 資料の声を聴くとは(1) | トップページ | 目に優しい液晶と良いキーボード(3) »

2010年1月 9日 (土)

資料の声を聴くとは(2)

 そのことをきっかけにして、樺美智子さんの遺稿集『人知れず微笑まん』を読み、樺さんがごく普通の日本史近世史を研究する学生であったことを知った。教育実習を終えて運動に戻って間もなく、安保条約の自然成立を目前に控えた中での死だったことも知った。 遺稿集には中世史研究で論証の確かさでは並ぶもののない佐藤進一氏が樺さんについて述べた文章も掲載されていた(氏は後の「東大闘争」時に、文学部の学生処分が実証的裏付けを欠くとして、東大教授を辞職し、結果的には名古屋大学へ移られた。そしてそのことが網野善彦氏が世に出ることを可能とした)。
 そんなわけで、「Majority」ではなく「Minority」とした。「差別された人々」にしろ「弱い立場の人々」にしろ、それは自らに責任があるわけではなく、社会によりそのような立場に位置づけられただけであった。現在の定説も認められるまではコペルニクスの地動説と同様、異端の説であり少数派であった。

« 資料の声を聴くとは(1) | トップページ | 目に優しい液晶と良いキーボード(3) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 資料の声を聴くとは(2):

« 資料の声を聴くとは(1) | トップページ | 目に優しい液晶と良いキーボード(3) »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ