koewokiku(HPへ)

« 出雲多聞院の棋譜(1) | トップページ | 2010年サッカーW杯のデータから(1) »

2009年11月29日 (日)

出雲多聞院の棋譜(2)

 ⑤17~23の内、17は左一郎が備後国に帰省中の秀策と大田で行った対局の棋譜。その他は同年11月の御城碁の棋譜である。秀策は郷里に自らの棋譜を送っており、この棋譜も左一郎が秀策を通じて入手したものであろう。
 ⑥24は本因坊家の門人伊藤徳兵衛が千家館で山本佐六と行った指導碁の棋譜。手合いからして当時の佐六は初段と考えられるが、佐六は安井家の門人であり、伊藤招聘には同門の左一郎の仲介があったであろう。なお山本佐六は、知井宮山本本家(中和久里屋)当主権市の子新次郎が、分家(中富屋)山本佐六の養子となって分家当主を継承・襲名したものと考えられる。左一郎は同じ山本一族の儒学者閑休のもとで学び、江戸に修行に行く前は、新次郎とも対局している。
 ⑦25~27は安政3年の御城碁の棋譜。安政4年に帰省した秀策を通じて左一郎が入手したものだろう。  
 ⑧28~30は帰省中の秀策が今治出身の水谷縫次と対局した際のもの。
 ⑨31~37は秀策並びに義弟亀三郎が出雲・山本家で行った対佐六の指導碁の棋譜。⑩38はその後、玉造温泉で秀策が出雲東部から因幡の人々とおこなった指導碁の棋譜。  対局者田中冨一郎の子孫に伝えられたのが前述の『囲碁手談』で、対水谷縫次の棋譜と対田中冨一郎の棋譜は『囲碁手談』にも収録されている。
 ⑪39~41は安政4年の御城碁の棋譜。江戸に帰った秀策を通じて左一郎が入手した  ものであろう。翌年7月6日に左一郎は37才で死亡するが、それ以後の棋譜は含ま  れていない。

以上のように、この多聞院本は、岸本左一郎と深い関わりを以て編集されたものである。

« 出雲多聞院の棋譜(1) | トップページ | 2010年サッカーW杯のデータから(1) »

囲碁史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 出雲多聞院の棋譜(2):

« 出雲多聞院の棋譜(1) | トップページ | 2010年サッカーW杯のデータから(1) »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ