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2009年11月29日 (日)

出雲多聞院の棋譜(1)

出雲市知井宮多聞院から発見された棋譜の性格

 多聞院は、知井宮山本家の菩提寺である。ここから発見された秀策の棋譜についてはよく知られているが、以下のようにまとまった内容を持つ物であった。全部で41の棋譜からなるものを時代順に並べた。
 すべて同筆で書かれており、年月日の記載の仕方(同年、右同日、同所、同断)からして、一定の意図で棋譜を編集して作成された「棋譜集」とでもいうべきもの(あるいはそれを写したもの。以下では多聞院本と記す)。その意味では、鳥取市田中家で発見された『囲碁手談』と同じ性格のものである。
 多聞院本の編集者あるいは、棋譜の情報提供元は以下の理由で岸本左一郎と考えられる。
 ①1から4番は左一郎の師丈和に関するもの。1は丈和最後の御城碁の棋譜で、対局者俊哲は後の算哲。以後、名人碁所となった丈和は御城碁が免除された。4がいわゆる「天保の内訌」に関するもの。3は丈和の相手赤星因徹と師井上因碩の対局。
 ②5から11までは、左一郎が天保8年から天保11年にかけて江戸の本因坊丈和のもとで修行した際に記録・入手したものであろう。左一郎本人並びに本因坊門の土屋秀和(後の本因坊秀和)と伊藤松二郎(後の松和)のもの。10・11は修行を終えて帰国する途中京都に立ち寄った際のものであろう。
 ③12から15は天保13年の御城碁の棋譜。左一郎は天保14年冬には短期間上京しており、その際入手したものか。
 ④16は同門で同時(嘉永7年)に6段に昇段した鶴岡三郎助のもの。嘉永元年に左一郎は門人岩田右一郎を伴って上京した。前年10月に師丈和が死亡したことと、岩田を本因坊家で修行させるためであったと思われる。

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