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2009年8月14日 (金)

出雲国と石見国の人口から(3)

 宝暦6年(1756)の出雲国の人口は220,094人。対して石見国は259,202人と記録上唯一石見国が出雲国を上回っている。ところがこの前後の記録では2~3万人出雲国の方が多く、この年の記録はなんらかの理由で誤記された可能性が高い。6年前の寛延3年(1750)比で、隠岐国600人増、伯耆国4,000人増、長門国6,000人増、周防国5,700人増という数字と比べても、石見国40,000人増と、出雲国15,000人減はおかしい。言われてみれば誰でも納得がいくであろう。ただ、そこのみをみていると気がつかないこともあろう。
 寛延3年の松江藩については宗門改帳の数字が判明する。出雲国の人口はこれから武士の人口を引き、広瀬藩と母里藩の人口を加えたものである。宝暦12年(1762)の広瀬藩と母里藩の人口を加えたものは27,264人。その12年前の寛延3年の両藩の人口は、出雲国の人口と松江藩の宗門帳のデータから計算して26,748人と500人程度少ない。こうしてみると、宝暦6年の出雲国の人口は、寛延3年からやや増加して242,500人程度と考えられる。
 これに対して石見国の宝暦6年の人口は、浜田藩の延享3年(1746)と宝暦12年の人口、さらには浜田藩跡市組の延享3年、寛延3年、宝暦6年、宝暦12年の人口を勘案すると、225,000人程度となる。当初は単純に逆に書き間違ったとも思ったが、残っている資料からすると以上のようであった。
 そうすると出雲国は寛延3年から8000人増、石見国は5000人増と周辺国と大差がないことになる。このような例は少なかろうが、データを利用する際には数字そのものを吟味しておかないと、実証的な作業のはずが、そうではない結果をもたらしてしまう。

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