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2009年8月14日 (金)

出雲国と石見国の人口から

 表題のことを書こうとしていたら、「蝦夷地」の人口へ目がいってしまった。板倉聖宣氏が代表をつとめる『たのしい授業』で、その人口の推移から蝦夷地とアイヌの問題に対して、これまでの「和人による侵略」という観点とは異なる見方が示されていたことを思い出したのである。本そのものを再確認していないので、こちらの印象と実際の記述に違いがあるかもしれないが、もしそうであれば後で訂正したい。
 『日本人口統計集成』別巻1から①蝦夷地の人口をひろう。次いでその年の②出雲国、③石見国、④隠岐国の人口を記す。8代将軍吉宗の代、享保6年以降のデータが記されている。享保6年(1721)①15,615、②222,330、③207,956、④18,133。出雲と石見の人口の差がこの時点では少ないことから書き始めようとしたが、ここでは、蝦夷地と隠岐を対比してみよう。この二つと島国である⑤壱岐国(19,993)と⑥対馬国(16,476)が人口が2万人から1万5千人の間である。琉球については藩でないので報告資料はない。同じ島国とはいっても淡路国は約12万人、佐渡国は約10万人と状況が異なっている。
  これに対して明治5年の人口は①123,668、②340,042、③259,611、④28,531である。島根県域では別に述べたように隠岐国の人口増加率が一番高く、その背景に日本海水運の発達があり、一方で隠岐国での重要な収入源であった牛馬の飼育の必要性は低下したことを述べた。ところが、その隠岐国とは比較にならないぐらいに蝦夷地の人口が増加しているのである。以前、仙台藩の幕末の人口増加はなぜだろうと思った。三大飢饉の後2つの天明・天保は東国中心でありながら増加しているのが理解できなかったのである。

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