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2009年6月 7日 (日)

出雲今市について(3)

 そうした中、18世紀半ばに、中村だけでなく、本町の上町から訴えが出された。中村は以前のように一部を配分するか、本町とは別の市日を新たに認めることを主張した。それに対して、本町の上市は月に6日間の市日を慶安元年の市掟のように、上・中・下市で2日間分割する事を求めた。両者に共通するのは、独自の市日がなければ、本町や本町内の中・下市に対して商売で不利であるとのことであった。上市は、中・下市に比べて広場まで遠いことを原因としてあげているが、もうひとつあるのは、城下町松江との関係であろう。すなわち、今市では、城下町に近い側での商売が拡大し、反対側の中村と本町の上市は衰退しつつあったのである。
 一方、松江藩の特産品として知られる木綿については、中村・本町いずれでも商売ができたが、最初に本町の目代所で改判を受ける必要があった。そのため、今市より西の地域から本町へ判取りに来た商人の多くは本町で商売を行い、わざわざ西側の中村に戻ることは少なかった。
 この訴えの結果、魚市だけは、本町の上・中・下市で毎月市日を配分する形となった。中村も本町の市日に商売をすることは認められたが、一旦、商品を本町に持ち込んでから行うことされ、木綿と同様本町に対しては不利な状況に置かれていた。

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