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2009年6月13日 (土)

岸本左一郎(8)

 岸本左一郎碑の裏面と岩田右一郎碑について、現代語訳を試みることとする。左一郎碑は、碑のある天河内付近の有力者安井衡が文を選び、紀広繁の書を刻んだものである。
 橘堂は岸本氏也。名は直樹。其の先祖重徳は毛利氏に仕え、後に故あって退いた。世々石州大森に居す。そのため里人からは旧家とされた。父は縄正と曰う。中村氏を妻に娶り三男が生まれた。伯(長兄)を重樹といい、家を継いだ。季幼(年下)の橘堂は三男の真ん中である。13才で囲碁を始めた。結果として碁を好み次の年に雲州の山本閑休のもとで学んだ。2年たち、縄正は碁を打つことで家を成さしめんと望み、携行して江戸に行った。囲碁の家元本因坊丈和の門に入った。次の年には4級に進んだ。時に18才であった。囲碁の家元林元美が其の才を希とし、養嗣とすることを望んだ。縄正は可としなかった。凡そ段位7級になるとこれを上手と謂い、大城中に於いて対局を許される。家を起こすべきである、と。橘堂は父の志を知り、上手となり一家を成すことを誓った。志を高め益々碁に励んだ。父の死後再び江戸に遊び、とうとう6級に進んだ。安政戊午の年に病により家で没した。享年37才(続く)。
 本因坊道策の生家山崎家も岸本家と同様、毛利氏のもとで銀の流通に関わった後、地元へ土着し、庄屋を勤めた。父縄正も大森町(その上に銀山町があった)の有力町人として資料に登場している

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