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2009年6月14日 (日)

岩田右一郎(2)

 次いで、岩田右一郎碑だが、前に述べたように現在では所在不明。
  明治四十五年四月 橘園岩田先生紀徳碑 正二位侯爵井上馨醍額
先生通称右一郎橘園。其號雲州能義郡赤崎村上野廣兵衛三子、安来村岩田安右衛門の養嗣となし、因て其の姓を冒(おか)す。先生幼きより穎異(エイイ、賢く優れている)、畫及碁を好む。有相者日く、此兄必風流方技を以て天下に聞こゆ矣。丱角(カンカク、幼い子ども)より大塚雪溪に就き、畫技を学び、大いに進む。年甫一四、與人圍碁豪族木
佐某、其技倆不群心(非情に優れている)なるを見て、窃かに之を偉とし、其父廣兵衛に請う、石州碁仙岸本左一郎先生に托諸せんことを。従游二年、碁仙と東上、本因坊秀和門に入る。日夜精勵し、翌年初段に斑(ワカ)つ。時年一七、其翌年二段に進み、數年を越え三段に進む。慶應元年四段に進む。明治八年五段に進む。先生之技所以て駸駸(シンシン、どんどん)上達する者、葢し有以也。先生之游歴海内也。必碁仙畫伯を訪れ、畫伯に遇えば則ち畫法を討究し、碁仙に遇えば則ち碁技を闘わす。後に抵豈(テイテイ、にこやかになる)を遂げ、後に五岳上人を訪れる。碁技を以て贄に代え、以て畫法を受ける。鑽研数月、其蘊奥(ウンオウ、極地)を究める。是より先生之畫法一變、神韻緲殆(ビョウビョウ、遠く広がる)、殆ど古人之風有り。苟も名を於幀輙に覩らば、輙ち縮寫之
積を畫す。五百餘幅に至る、皆明代名家之筆意に逼まる。云う、先生之畫法の所以能致、然者亦有以也(続)。
 地元では画家として、中央では囲碁の棋士として知られていた。

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