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2009年1月29日 (木)

中世の人口増加

 高校日本史では、鎌倉期の二毛作の普及や室町期の定期市の増加(三斎市から六斎市へ)などを取り上げ、その背景として生産力の発展をみているが、近年の歴史人口学は、中世における人口の停滞を主張する。そしてその成果は、小学館版『日本の歴史』7でも取り入れられている。
 確かに、二毛作というのは、秋に蒔いた麦の収穫が5~6月に行われ、その後に稲作を開始するというもので、どこでもできるというものではないようだ。ただ、以前から言われている、10世紀の和名抄と15世紀の拾芥抄の田の面積の数字は、表面上はさほど違いがないが、技術の進歩と肥料の投入により、土地の安定という実質的な面では大きな違いがあったという点は認めてよいのではないか。
 その意味で、歴史人口学で言われるところの奈良時代の人口については、誇大な数字である可能性が強いと思うが、どうであろうか。石見と出雲については、大田文とそれに準ずる史料が残っており、平安末期(12世紀末)の耕地面積がわかるが、それは10世紀の数字の半分でしかない。ところが、実際の土地の面積と大田文の数字の間には数倍のギャップがあることが、益田氏関係資料(永安別符の史料)からわかるのである。

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