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2009年1月24日 (土)

城安寺と円成寺(1)

 18世紀初めにまとめられた『雲陽誌』は、近世前半の出雲国内を知る上で貴重な情報を提供しくれる地誌であるが、もとより特定の意図を持ったものであり、また、地域により情報の精粗もみられる。ここで取り上げるのは、ここで誤りが記されたため、虚像が実像となった例である。
 城安寺は、富田庄(現安来市広瀬町)に鎌倉後期に開基された臨済宗寺院であるが、城下町の移転により、近世初頭には松江城下に移された。ところが、現在は広瀬町(菅谷)にあり、17世紀中頃には旧地に戻っている。これに対し、室町後期に尼子氏の菩提寺として開基された洞光寺や浄土真宗誓願寺の場合は、松江と広瀬の両方にあり、どちらが本寺かをめぐって訴訟が行われている。旧城下町に広瀬藩邸が置かれたことにより、二つに分かれたのであろうか。城安寺とは少し事情が異なるのかもしれない。
 臨済宗円成寺は、堀尾氏の菩提寺で、元来は宍道湖北岸の荒隈に瑞応寺の名で開基されたが、堀尾氏が断絶して京極氏が城主となると、乃木の地に円成寺として移転・再建されたものとされている。その地は、時宗善光寺(佐々木高綱開基、乃木希典の供養塔あり)の跡地とも、堀尾吉晴と関わりの深い春龍和尚の別荘地であったともいわれる。『雲陽誌』では瑞応寺について、吉晴がはじめて建立した寺院との記載(法吉・天倫寺)もあれば、城安寺を移して瑞応寺としたとの記述(乃木・円成寺)もあり、混乱がみられる。

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