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2009年1月 1日 (木)

気温と日本の東西(2)

  ①の時期は、畿内中心の政権が誕生したのに対し、②の時期になると、西日本では飢饉が続き、聖武天皇の鎮護国家の思想が登場する。そして東国の成長が著しいなか10世紀半ばの平将門の乱は失敗したが、鎌倉幕府が成立する。③この時期に北条氏は西国支配を強めるが反発を受け、幕府が滅亡し南北朝の動乱が続いた。④動乱は京都に室町幕府が成立して終結したが、東国の鎌倉府が自立性を強め、幕府は衰退する。⑤この時期は畿内から東海地方にかけての勢力が中心であったが、最後にどんでん返しで、江戸幕府が成立する。当初は畿内・西国が経済の中心であったが、⑥気温の上昇とともに関東地方が発展し、現在に至るまで西日本の位置は低下している。
 平野部と山間部については、⑤の時期の出雲国では、山間部の人口が停滞したが、⑥になると平野部の人口が伸び悩んだ。とはいえ⑥の時期には機械文明が日本にも成立し、気温のハンデよりも、地域的優位性が優越し、明治以降の人口増加の中心は平野部に移る。

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