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2009年1月 3日 (土)

気温と日本の東西(3)

 年平均気温については、近年の具体的データをみながら考えていく必要がある。というのは、厳冬の年は夏の気温が高くなることが多く、暖冬ならば冷夏になりやすいということも知られている(夏の気温が高いと‥‥冬の気温が‥‥ではない。またこの場合の夏とは北半球側を指している)。ということは各季節、月で比べると、年平均気温の2倍程度の差がみられるのである。 また、気温の根拠となる屋久杉の年輪データは1~2月の気温により成長の幅が決定されるとのことである(屋久杉のデータでは最大6度強の差が見られるが、これは冬の差で、年間では3度強の差にとどまるということ)。
  一方、前島郁雄氏は弘前藩庁の弘前と江戸の記録に基づき、江戸時代は小氷期であったことを述べた。倉地克直『徳川社会のゆらぎ』(日本の歴史11)はこの成果を引用しながら述べられている。とくに①1610~50,②1690~1720、③1820~1850の3期が非常に寒冷であるとされている。①②は屋久島杉のデータと一致するが、③は異なっている。東日本は寒冷であったが、西日本はそうではなかったということであろうか。いずれにせよ、各地域をみるさいには、その地域自身のデータを利用しながら使っていく必要がある。

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