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2009年1月25日 (日)

斐伊川と宍道湖

 斐伊川の東流前の宍道湖の水位はどうであったろうか。現在、宍道湖に流れ込む水量の7割は斐伊川のものとされるので、これがないと大変水位が低かったこととなる。ところが、斐伊川が西流していたとする『風土記』の記載をみても、現在宍道湖に面している地域の海岸線が大きく変わっていたことは、西岸を除けば、読み取れない。近世の東流以降、松江は水害に襲われるようになったなどとよく書いてあるが、何が根拠なのだろうか。
 『風土記』みると、確かに大川は西流して日本海に注いでいたことがわかるが、宍道湖との関係は微妙である。その間に二つの池、二つの江、三つの方(潟カ)があり、江について、源は田水の集まるところで、東流して入海(宍道湖)に入ると記される(『風土記』は沖森卓也外編、山川出版社による)。大川との関係が明記されていないが、東側からも一定程度の水量が、何本もの川を通じて宍道湖に注いでたことは確実であろう。
  現在の嫁ヶ島が全長120mであるのに対し、『風土記』時代の「蚊島」は周60歩=108mとあり、違いは僅かである。当時の気温なども水位に影響するが、それにしても現在の宍道湖の水位と『風土記』時代の入海の水位はそう違わないのではないか。とはいえ、『風土記』については拾い読みしたという程度であり、専門家の意見を聞いてみたい。

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