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2009年1月 1日 (木)

気温と日本の東西(1)

 網野善彦氏には『東と西の語る日本の歴史』という著書があり、日本が2つの国家に分かれる可能性があったことや、東西の文化の違いについて述べられていた。近年は、気温の上下と東西の人口の増減の違いについても明らかにされてきた。
 簡単に言えば、平均気温が低いとその影響の低い西日本中心に人口が増加し、逆に高いと、東日本中心に人口が増加するのである。東日本中心と言えば縄文文化であるが、この時期の気温は高く、海面が上昇したことにより日本列島が形成された。続く弥生時代は気温が低く、西日本中心の新文化が生まれた。それ以後については、以下のとおり。
 ①古墳時代から奈良時代前半にかけては、一時的に気温が上昇したが、全体的には低い時期が多かった。これが②奈良時代後半以降から鎌倉中期までは高い時期が多かった。次いで③13世紀後半から14世紀前半は低い気温が続き、④14世紀後半から15世紀半ばまでは気温は高かった。 そして⑤15世紀後半から18世紀末まで低い気温の時期が多く。⑥19初めから現在に至るまでは概ね気温の高い時期といえる(各時期の気温については鬼頭宏氏『図説 人口で見る日本史』を参照)。
   気温の違いは平野部と山間部にもあてはまり、気温が低い時期は平野部が人口増加の中心で、逆に高いと、山間部の人口が増加する。

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