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2008年12月19日 (金)

岸本左一郎(6)

 岸本左一郎は、囲碁の普及に本格的に取り組んだ最初の人であった。その大森の家は「囲碁の学校」の様相を示していた。それを示す資料の一つが「座隠清戯」(日本棋院蔵)である。10年前に日本棋院に行き、資料室をみせてもらった。現在は「囲碁殿堂資料館」として大学の機関がかかわり管理されているが、当時は「ヒカルの碁」の場面でもわかるように、担当者に許可を得れば自由にみることができた。
 訪問のきっかけは、遊技史研究者増川宏一氏の著書に幕末の出雲国西部の囲碁番付のことが述べられていたのをみたことである。囲碁だけでなく、文化・学問の地域的結びつきを知る上で貴重な資料であると思い、氏に問い合わせたところ、以前、日本棋院の資料室でみたと思うとのことであった。残念ながら、それに該当する資料は発見できなかったが、いくつか関係する資料をみることができた。
 「座隠清戯」は「座隠談叢」の巻末のリストにもあるが、2冊からなり、石川勝強と石川健助が岸本に受けた指導碁をそれぞれ90局と55局掲載したもので、岸本のコメントも加えられている。両石川がどこの人物かは記されていないが、時期は嘉永3から4年にかけてのものである。
 これとは別に、邇摩郡福光下村庄屋福富氏の文書(国立歴博蔵)には、嘉永3年頃、囲碁の修行にやってきた播磨国の盤喜と但馬国の良蔵のことが記した手紙が残されている。両者は前年の冬(旧暦では10月~)にやってきたが、春暖かくなってきたこともあり帰国することになり、関係者で送別の碁会の開催を案内する内容である。岸本の名はみえないが、当然、岸本に入門したものと考えられる。岸本が門人の養成を行い、資なきものには経済的援助を行ったことはその石碑にも記されている。

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