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2008年11月 3日 (月)

近代以降の人口増加(3)

 19世紀中期以降の島根県域の人口増加率の低さの原因として、天保改革時の人返し令による人口移動の容認を考えて、この文を書き始めた。しかし、明治初年の県外への移動は少なく、やや見当はずれとなった。明治後半以降の原因としては、社会減が自然増を減らしたことが大きいと思われるが、1920年以降は国勢調査のデータがあるので、確認したい。
 19世紀中期以降の原因は特定できないが、その一つに、平均気温の上昇があった。出雲国でも平野部の人口が伸び悩み、逆に山間部の増加が著しい。山間部ではたたら製鉄の発展もあったが、気候面も考えるべきであろう。
 西日本はもともと東日本に比べて平均気温が高く、18世紀後半以降の冷害などにより東日本での生産が減少したのに対し、西日本では長期化せず、その程度も軽かった。これに対し、江戸末期から明治期にかけては気温が上昇する局面に入る。これが、東北や関東の人口増加の原因であったことはまちがいなかろう。
 明治初期の東京遷都により、さらに東日本の地位が向上したことも寄与したであろう。さらに、近代化の進展は都市への人口増加をもたらす。近世には都市の人口増加は、そこに隣接する地域の人口減の原因となったが、明治以降は山陰・北陸といった地域からの人口流出をもたらした(了)。

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