koewokiku(HPへ)

« 丸毛兼頼 | トップページ | 近代以降の人口増加(2) »

2008年11月 3日 (月)

近代以降の人口増加(1)

 島根県域の人口増加率は、天保の大飢饉以降は、日本の他地域より低くなり、これが明治以降にも続いていく。問題は、その原因がどこにあるかであるが、山陰とともに増加率が低いとされる福井県のデータがネット上で入手できるので、これを手がかりとする。
  近代以降、居住地の移動は自由化された。そのため、本籍地に対して、出寄留と入寄留の問題が生まれた。本籍地は変わらないが、県外へ出たものと県外から 入ってきたものという人口の社会増減の問題が出てきたのである。福井県では、県内での移動、郡内での移動、海外への移動(海外からはなし)のデータ (1882-1921)を知ることができる。1910年以降はデータが完備するが、1882-1896は出入総数と他府県出入総数のみ、それと1898・ 1903・1908の5年毎の出入総数のみが知られる。
 この間一貫して県外出が入を上回っており、この社会減が自然増の部分を減らしている。 1886年は出が9817人に対して、入は2338人であり、本籍数に対し実人口は6489人の減。1898年は県外出36715人に対して入総数 22951である。この年から県内・郡内の出入も統計に加わわったようで、出入とも数が飛躍的に増加するが、県外からの入は1万人弱とみられる。そうする と本籍数に対し25000人以上の減である。1921年は県外出86896人に対して入13005人と本籍数に対し73891人の減である。
 ただ、数字は毎年の社会減ではなく、本籍数に対する過去からの蓄積数としての減であることに注意。いずれにせよ、この部分が自然増の数字を減らしているのである(続)。

« 丸毛兼頼 | トップページ | 近代以降の人口増加(2) »

人口史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 近代以降の人口増加(1):

« 丸毛兼頼 | トップページ | 近代以降の人口増加(2) »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ