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2008年11月16日 (日)

一軒一宗

 天明の飢饉の起こった天明3年9月、石見部の御料に「一軒一宗」の命令が伝えられた。結婚や養子で他家から人が入る際に、従来の旦那寺を変更せずにいるケースがあった。また、生まれた子が男子なら夫の旦那寺、女子なら妻の実家の旦那寺にすることもあった。それが代々続くと、一軒の中に複数の旦那寺があることになる。
 結婚・養子により他家に移ったが、後に実家の跡が絶えたりすると、本人またはその子に実家の跡を取らすこともあった。また、実家の田畑などの財産を相続することもあった。そのため前記のことが容認されていた。ところが、宗門改帳を作成するには、一軒に複数の寺というのは、管理が煩雑となる。そこで石見国御料から寺社奉行に問い合わせたところ、評議の結果、一軒一宗を原則とするという旨の指図があったということである。
 石見国御料と境を接しており、そのことを知った広瀬藩では、取り急ぎ藩領の寺に一軒一宗命令を伝えている。よほどの理由がない限り、そうせよとのことである。同じく境を接する浜田藩領内の智音院は、銀山料乙原村の八郎右衛門が、本来の旦那寺に無断で同村の寺院の檀家となったことを浜田藩に訴えている。御料内の一軒一宗に伴い浜田藩領で生じた変更が、前の寺の放状なしに行われると無効であるとの命令を利用して訴えたものである。
 全国一斉に出されたものではないが、以後、男系への一本化が進む契機となったものであろう。

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