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2008年10月18日 (土)

岸本左一郎(その1)

 10月12日(日)に、松江市から因島と瀬戸田を訪ねた。因島に開館した秀策囲碁記念館と平山郁夫美術館で展示中の「洞窟の頼朝」を見るために。
 秀策囲碁記念館では開館記念の「江戸時代の囲碁文化と囲碁殿堂展」が開催中であった。その展示資料に、秀策と関わりが深い岸本左一郎の著書「常用妙手」と「囲碁定石集」があった。前者は10年前に三原市立図書館で見たことがあったが、後者は初めてで、いずれも個人蔵と記されていた。
 10年前、因島市立図書館で開催中の「日本囲碁文化展」を見に行った。囲碁の段付や江戸時代の囲碁の本がたくさん展示されていたが、残念なことにその時点では「左一郎」の存在を認識していなかった。ただ、秀策関係の本を手にとって見ていたら、後から高齢の女性が「岩本薫さんは元気でしょうか」と声をかけられた。振り向くと、「私は島根県益田市から因島に嫁いで来た」とのことで納得し、健在であることを答えたが、あまりの偶然に驚かされた。
 岩本薫元本因坊は益田市の生まれで、原爆投下時の広島での橋本宇太郎との本因坊戦の対局(橋本本因坊に挑戦)で知られるが、それ以上に著書「囲碁を世界に」に記されるように、囲碁の海外普及に尽力したことが特筆される。
 囲碁殿堂入りしている本因坊道策も島根県大田市仁摩町の出身で、資料館には、道策の生家に残る道策の肖像画も展示されていた。島根県の高校生向けの「ふるさと読本」で、道策と岩本薫の両本因坊について執筆してはいたが、道策の肖像画の現物とは今回が初対面であった。
 原稿執筆後、岸本左一郎のことを知り、もう少し時間があれば、両本因坊の原稿を左一郎の原稿に差し替えたかったというのが正直なところであった。それでもとりあえず、地元の新聞に「岸本左一郎-石見が生んだ幕末の名棋士」を掲載してもらった。自分では「忘れられた棋士-岸本左一郎のこと」と、ハーバード・ノーマンが安藤昌益について述べた著書にあやかった題名を考えたが、編集者の意向で、前述の題となった。
 

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