koewokiku(HPへ)

« 異人はいなかった?-天明3年一揆(1) | トップページ | All Blacksのヘッドコーチ(1) »

2008年10月26日 (日)

異人はなぜ登場したか?-天明3年一揆(2)

 社会が必要とする勤勉や、規律や衛生は、実は江戸民衆社会に、欧米のそれとは形態が違っていたかもしれないが、成熟をとげた形で存在したのである。だとすれば、明治初年の文明開化とは、何ものだったのだろうか。[井上勝生『幕末・維新』(シリーズ日本近現代史① 岩波新書)P238]
 近代史の世界でも、明治維新・文明開化の相対化の作業が始まったようです。「虚像と実像」で触れたように、江戸時代というのは捨てたものではないというのが、島根県の近世後期から近代の資料をみての感想です。
  飢饉が発生すれば、例年より死亡者が増え被害が出ているのですが、一方で、藩が救済のための措置を行うだけでなく、地域の有力者が救済のために食料を提供するのはあたりまえの義務であったようです。現代はどうでしょうか。
  飢饉が起こると最も打撃を受けたのは、農業生産の比重が低い地域(町や漁村)と人々(非農業民)でした。天明3年に打ちこわしが起きた大津も斐伊川沿いの町で、山陰道を介して日本海水運とも結びつく地でした。それだけに有力な町人も多く、その人々も食料を提供しています。ただ、それで十分であったわけではなく、特定の有力町人が打ちこわしの対象ともなっています。また、藩政への批判が「異人」の登場につながったのです。

« 異人はいなかった?-天明3年一揆(1) | トップページ | All Blacksのヘッドコーチ(1) »

近世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 異人はなぜ登場したか?-天明3年一揆(2):

« 異人はいなかった?-天明3年一揆(1) | トップページ | All Blacksのヘッドコーチ(1) »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ