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2008年10月20日 (月)

岸本左一郎(3)

 本因坊秀策が現在の島根県を訪れたのは、嘉永3年8月と安政4年5月である。前者についてはすでに述べた。安政4年(1857)は岸本左一郎を見出した山本閑休の十七回忌にあたり、2月には追善の碁会が開かれている。そして5月3日に、秀策が葛野亀三郎と遠藤晏平を伴い、出雲市知井宮の山本家を訪れ、11日まで稽古碁を打っている(「安政四年丁巳五月三日秀策先生御来臨之節稽古勝負録」)。その相手には、有段者だけでなく囲碁を打てる程度の人もみられ、囲碁が学問修行と密接な関係があったことが知られる。
 次いで、秀策一行は玉造温泉で、山陰の強豪との稽古碁を行った。知井宮と玉造での有段者との棋譜は秀策全集にも掲載されている。
 山本閑休(1762~1841)は山本家当主として神門郡与頭(郡を代表して藩の役人と交渉する下郡の補佐役)を勤めた後、六十才前後で息子に跡を譲り、近隣の子弟を集めて学問を教えていた。若いときには東北地方から九州までをめぐり、囲碁は家元井上家から初段を認められていた。
 山本家文書は現在早稲田大学が所有するが、その「天保六未如月日新坐隠録」は、天保6年から8年にかけての石見国東部から出雲国西部の囲碁グループの記録である。その天保6年3月21日には、石見国の大田天満宮に参詣し、その後河合で行われた碁会の3月25日の記録に左一郎とその父美濃屋丈助がみえる。左一郎は天保8年2月に松江から金森榮八を招いて開かれた碁会にまでみえ、その棋力は急速に上昇していた。
 その後、父とともに江戸に上京し、本因坊家に入門した。同年12月には7才下の秀策が入門してきた。

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